したいろく

「したい」録、慕い録、肢体録、死体録、四対六

寂しさを軽やかに越えたい

最近頭の中で溜め込んでいることが多すぎて、言葉にしなくていいことが口から漏水している。

 

喋りすぎた後の後悔はなんなんだろう。

 

人間の価値は、如何に口数が少ないか、だと思っている。

思ったことをすぐ口にする奴はアホだし、

ウケ狙いで必要以上のことを喋る奴はだいたい足元を掬われる。

 

とはいえ、だ。

 

喋りたい。とにかく喋りたい。言わなくていいことを。ふと思ったことを。

誰かと気兼ねなく話したい。面白いと思ったことは表情剥き出しで笑いたい。

その場の思い付きでトークの大輪を咲かせたい。

 

でもできない。

 

大学時代の友達や、気の合う銀行時代の同期はもういない。

会社にいる若い社員さんたちは、私の話すどうでもいい言葉ひとつひとつを、

笑いもせず、滑らせもせず、ただただ有難く受け止める(内心どう思っているのかを測る術がない)。

 

私の話す言葉は、ただただリアクションに困る、人を困らせるだけの不発弾だ。処理に困るだけ。

 

大して面白いことも言えず、滑ることさえも許されないのだから、静かに黙っていたほうがいい、なんてことは分かってる。

 

でも、、、でもでも喋りたい。

くだらないことを言いたい。くだらない遠出をして、シュールで乾いた笑いを共有したい。そんな中から気の合った人と出会いたい。好きな人と遠くへ行ってお酒を飲みたい。夜も遅くまで笑っていたい。

 

でもできない。

 

あと5年は少なくともこんな日々が続く。

一口馬主の夢も遠そうだし、個人馬主になれる日は来るのかな。

 

そう思うと、

私は周囲から静かに、人畜無害であることを期待されているし、自分でもそれが望ましいと分かってる。

 

そう求められ、そうあらねば、と思ったときに限って欲が疼きだして、自分が嫌いになる。

 

軽く生きたい、軽やかに生きていきたい。軽い内容の話を、軽く会社の人と話して、軽く旅に出て、軽く人と付き合って、軽くドキドキしたい。

 

まずは心を軽くすることかな。