したいろく

「したい」録、慕い録、肢体録、死体録、四対六

記録を残したい

25歳から50歳までの25年間を「完璧な四半世紀」に。

 

約半年の放牧(穀潰し)期間の終了が近づき、社会へひっそりとリデビューを果たす。と同時に、25歳という節目も迎えようとしている。唐突に上記のような事を思い立ったのは、誕生日の1か月半前の風呂場だった。

 

この半年は自分という存在を考え続けた。ここでその答えのようなものをつらつらと書くのは面倒だし馬鹿馬鹿しい。だが、この「面倒」で「馬鹿馬鹿しい」ことを半年間無限ループのように考え続け、時に落ち込み、時にニヤニヤしていた。

 

そもそもこれまで私は多くの人、モノ、経験からたくさんのことを学んできた。その集大成たるものがこの半年間だろう。多くのことを学び、咀嚼してきた。だけども、この「学び」を世間様に上手く活かしきれていない気がする。というか、世間様に活かす勇気がないような気がするし、そもそも自分の役にも立てていない。相変わらず自分に自信を持てず、これまでの「学び」を苦悩する自分に酔うための道具に使っているだけなのかもしれない。

 

これはまずい。社会人として、ひいては人間として生産能力が無さすぎる。このままでは死にきれない。いつも斜に構えて、サブカル通を自称する、青春ごっこ真っ只中のオッサンになってしまう。いやだ、まっとうな大人になりたい。

 

そう思った私は、節目の年齢を迎えるにあたって、ひとつたいそれたことを言ってみようやってみよう、という気になった。物事を「学び(真似び)」に留まらせず、「習い(慣らひ)」に昇華させるように次のステップに上がる。それが自信の醸成、「大人の余裕」の創出、モテ期の到来に繋がるのではないか。人からなめられないようになるのではないか。

 

風呂場の私はヒートアップしてきた(五右衛門風呂状態)

 

というわけでまずは、自分の中である定義を作ることにした。

 

①人生の期間を75年とする。

 

人間75年も生きれば十分だと思う。そこから先があるとしても、人生大きく好転はしないだろうし、主義主張は老害になるだけだ。寧ろご褒美タイムとしてこっそりと味わいたい。

 

②その75年を三等分し、「吸収期」「交流期」「禅譲期」と名付ける。

 

この定義において、現在「吸収期」と「交流期」の過渡期に私は立っている。 

社会(家族、学校、会社、芸術etc)から何かをテイクし続けるだけの時期を終え、社会に対してギブも行っていかなければいけない時期に来たのだ。これからの四半世紀はギブ&テイクの四半世紀なのだ。

 

定義は続く。

 

③25~50歳を「PERFECT QUARTER CENTURY(完璧な四半世紀)」とする。

 

名前をつけてキャンペーン化した方が楽しい、的な事をみうらじゅんの本で読んだ気がする。そこで、バンドじゃないもん!(通称:バンもん!)が2017年、「PERFECT YEAR 2017」というプロジェクトを立ち上げたことにまるっと乗っかることにした。

perfectyear2017.ponycanyon.co.jp

執筆時点での推しメンは甘夏ゆず(コットンイエロー)。

 

さあ始まる「PQC」!定義を定めたところで、次はルール作りだ!

と、息を巻く全裸の私。

 

<ルールその1>25年の間、自分が「したい」ことを記録し、公開し続ける。

 

ブログ開設。これからは「した」ことよりも「したい」ことに舵を少しずつ切っていく。「考え、行動に移す」四半世紀にする。偉いぞ、俺。

 

<ルールその2>50歳の誕生日までにwikipedia(もしくは2042年現在のそれに類するもの)に自分のページができていた場合、この記録を出版する。

 

以前下北沢の居酒屋で熱く語った黒歴史をここで敢えて登場させる余裕だ。wikipediaに載るような人間になりてぇ、と。

 

<ルールその3>万が一、wikipedia(もしくは2042年現在のそれに類するもの)に自分のページができていなかった場合、全記録を消去し、粛々と禅譲に努める。

 

そのときはこんな記録を残して死にたくない。先にこの記録を成仏させてあげないと可哀想でしょ、自分よ。

 

 

とりあえず、その時その時の「したい」を中心に記録を残すという作業を自分に課し、50歳の時に振り返って面白かったと思える25年を送れるようにしたい、というのが本音のところ。なんとなくはじめてみよう。「記録を残したい」と思ってしまったのだから。

 

そして2042年、この字面を見て笑っている50歳の自分に会いたい。ゆずポン推しだったなぁ、って。